≪PETセンターの出資負担金の是非について≫

今議会で予算計上されているPETセンター(陽電子放射断層撮影装置)の設立に伴う射水市の出資負担金について私考私論を述べます。

PETとは何ですか。
ositron mission omography(陽電子放射線断層撮影装置=がん細胞が放射線造影剤に反応することを利用して、放射線物質が含まれた薬剤を体内に注射し、がんに集まる放射線を検出してがんの位置、大きさ、転移の状況を発見する装置)の頭文字を取りPETと言います。
CTやMRI(磁気共鳴画像装置)検査と組み合わせて検診することで、より早期の発見に有効とされています。
 現在、県が中心となり市町村の行政自治体と民間企業が出資し株式会社(資本金15億円:内訳 県3.75億円、市町村3.75億円、企業7.5億円)を設立してPETセンターへの設置、整備(総投資額23億〜30億円)をしようとするものです。
 これは、富山県が、がん対策の一環としてがんの医療や検診に大きく寄与し総合的ながん検診することでがんの早期発見でがん対策の推進が期待されるPETセンターについて、行政と民間企業がそれぞれ出資し力を合わせ一体となって、株式会社を設立して整備しようとするものです。官民が一体となりがん対策に取り組むことは、大変いいことで画期的なことです。しかしながら、このPETセンターについては、読売新聞が朝刊、夕刊で「PETがん検診に?」、国立がんセンターの調査では、「85%を見抜けず、早期発見切り札のはずが・・・」、「万能でないことを知って」とあります。このことが、3月定例議会で議員からも質問がありました。
 射水市は、今議会でPETセンターの出資金として2,000万円の予算計上し、出資に応じる姿勢です。一方砺波市は、この出資について金沢市の病院と提携しており出資に応じない姿勢です。また、魚津市は労災病院で設置予定、黒部市は市民病院で設置予定であり両市とも出資について微妙な見解です。
 当市の2、000万円の投資は、負担割合の算出根拠については妥当性があり、市民の医療福祉の向上には必要不可欠のものと考える。が、がんセンターの調査報告が本当であるとするならば、出資については見直し検討せざるを得ないのではないか。新聞記事を含め、国立がんセンターの調査報告書の実態をよく調査、精査され、当局は報告されたい。邪悪な考え方だが、出資に応じなかった市町村の住民は検診を受けられないのであろうか。それとも、プレミアムの検診料金を払わなければならないのであろうか。出資しない市町村が出さない得ではやりきれない。民間企業にまで出資をお願いするのであるから、いずれにしても全市町村が応分の負担をすることが望ましい。今後、県当局においては、関係市町村に理解と協力が得られるよう努力をされ指導力を期待したい。
 国は、このがん対策に本腰を入れているようで入れていない。今国会でも議論のあったところでもあり、法整備も検討されているようである。が、もっと総合的見地からがん検診、がん治療等のがん対策を施し国民の生命の尊厳と安全を守って欲しいものである

                            2006・6・9

                              東 保  力

『子どもに教えられること』

 私事でありますが、昨年2月に親から継承した事業の経営に失敗しどん底をあじわいました。従業員、取引先はじめ家族や多くの方々に多大なご迷惑とご心配をかけてしまいました。とりわけ家族には、今後の生活のこともあり、私自身気が重く、暗くなりがちでした。生活も厳しくなりましたが、子どもは子どもなりにこの現状を認識して親の苦しい心情を共有し、共有とはおこがましいかもしれないけれど、私の想像を絶する思いで今後の将来について悩み、不安や恐怖と葛藤し、この現状と戦っていることを子ども達の言動で知りました。この子どもたちの明るさと目標をもって頑張っている姿勢、言動に多くのこと教えられ、救われました。

私は、4人の子ども(姉妹)の父親です。子どもは、親の背中を見て育つと言われます。実は親の背中とは、何であろう。親の言動とスキンシップではなかろうか。日常の両親の会話の中から子どもは、親を鋭く見抜いて行く。両親の会話、仕草、それぞれの子ども達に接する態度、言動を四姉妹はしっかり見ている。

私は、子育てを妻任せにするところもあったが、直接、間接に子どもと接してきたと自負している。子ども達は、妻のお陰であろうか、素直に育ってくれそれぞれ個性をもって独自性を発揮してくれている。上二人は、それぞれに仕事に関する資格を持ち就職して社会人になっている。下二人は大学3年生と高校3年生である。

私と妻は、4姉妹を平等に扱って、接しているつもりであるが、子どもからは『姉にこんなことをしてくれていたのに私にしてくれなかった。』『妹にしてやって、私にしてくれなかった。』『私ばっかり』と自分中心である。そうかと思うと、『私がしてもらわなかった分、あの子にしてやって。』と言うこともある。親をしっかり見ており、子どもなりに評価している。

そして、子どもはしっかり親と大人を見ているし見てきた。これが、現代の少子高齢化社会現象等の一因かと懸念しています。その意味では、子どもに社会の現象を教えられながら私ら大人が育てられて来たと云えます。ここで、子どもが親の背中を乗り越えて自立できるようにと、私ら親や大人がすることは何か? 

私は、自分の夢や希望、目標を常に語り、実現して行こうと努力する姿勢を示し、見せる事ではなかろうかと思いました。夫婦で喧嘩する暇があれば、また子どもに小言を言う暇があれば、自らの夢、目標を語り、その実現に向けて行動しなさい。と、子ども達の『言動』から教え諭されているようです。

2006・1・18

東 保  力

時事問題・・・つとむさんのコメント
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